このところ、ギフテッドについて考えています。
ぼんちゃんがギフテッドならば、ASD・ディスレクシアという障害もあるため、2Eということになります。
ぼんちゃんが学校に通っていた時の自分の悩みを振り返ると、
「ぼんちゃんにとって、漢字の書き取りは意味はあるのか…」
や(漢字だけでなく、宿題に取り掛かるまで大泣き1時間、宿題10分で終了、というように、ダブルで苦痛)、忘れ物・体育での着替え(遅い)などで悩んでいたように思います。
もちろん、朝怠そうに起きてきて、自発的に登校したがらない毎日も悩みでしたが…

不登校になった直接の原因は、担任教師がぼんちゃんだけでなく、クラス皆の口を塞ぐような叱り方を繰り返したため。
けれど、元々学校は好きではありませんでしたし、遡れば、幼稚園も、それ以前に一年ほど通った保育園も好きではなく、毎朝通うのが大変でした。
それを思うと、不登校となったのは必然だったようにも思えるのです。
そして、その原因がASDであるのかギフテッドであるのか、私にはいまだよくわかりません。

先日、ASDかつギフテッドである大学院生のお子さんがいるお母さんとお話する機会がありました。
「うちは不登校にはならなかったのよ、だって『学校は行くもの』という決まりが彼にあったから。この間の大雪の日だって、大学は休講だったのに、『やらなきゃいけないことがあるから』って行っちゃうのよ…」
と。
ASDだから不登校にならない、という話ではありません。
こうしたこだわりもあるのか、と、驚いたという話です。
そんな彼なので、小・中学校には通っていたものの、自尊心はとても低かったのだそうです。
何しろ、凹ばかりに注目され、それを問題視されることが多かったようなので。

彼はこのあたりで一番の進学校へ進みました。
その学校はもちろん優秀な子供たちが集まっているのですが、優秀な分、先生の干渉が少なく、伸び伸びできるとのことです。
そこで少しずつ自己肯定感が増していったのだと、そのお母さんは仰っていました。

「今ぼんちゃんママさんは何を悩んでいらっしゃるの?こうしたこだわり?お友達とトラブルがあるとか?」

不意に聞かれて、私は返答に困りました。
もちろん諸々悩みはあるのですが(協調運動のことや、ディスレクシア、不安障害…)、何よりも私が悩んでいるのは、できるのにやらないこと…なんと言えばいいのか。

「才能を伸ばしてあげたいのに、それができないから悩んでいるんじゃないの?」
!!
「あ、そうです!それで悩んでるんです。どう伸ばしてあげたら良いかわからなくて!」

驚いて、思わず声をあげてしまいました。

「良かった!そうじゃないかと思ったの。私もそうだったから。」

そのお母さんからそう言っていただけて、私はなんだかホッとしました…

私がギフテッドという言葉を知って、6年になります。
ぼんちゃんは好きなことがコロコロ変わるし、幼稚な部分、オッさんな部分、いろんな特徴があって、コレ!という得意なものもなく(私が見つけてあげられていないだけかも)、私が知識として知っているギフテッドに当てはまる部分はあれど、ぼんちゃん=ギフテッドと他者に向かって言っていいのか?という逡巡は常にあり…(というのは、障害もあるため、そのつらさを一般化していいかどうかわからなくなる時があるのです。つまり、つらい”原因”をどこに定めて良いのか悩んでしまう。一番大切な部分なのに)
ただ、ぼんちゃんの生き生きとした知識欲は常に学校外に”あった”というのは事実です。
科学博物館、美術館、動物園、水族館、読み聞かせ、映画etc

学校では心が死んでいたというか、、、死なされていたというか。

これ、多くのギフテッド児もそうなんでしょうか。
私は、今の日本の公教育ではギフテッドの子供たちは「本人の意思に反して精神的に死んでいく」のでは、と考えているのですが、そうでないお子さんもいるのかしら…

私がそうした子供たちに対して「まず救ってあげなければ、存在を認めてあげなければ」と考えたのは、自分の経験と、ブログを通して知ったお子さんたちの苦労を知ったからです。

「自分は生きるに値する人間である」という当たり前のことを受容する日本社会になればなぁ、と、思います。

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# by icecream07 | 2018-03-07 12:58 | ギフテッド/2E

私たちの目的とは…

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい」(マタイ7:3・4)

多分、このランキングにも参加していない私のブログもお読みでしょうから、書くことにいたしますね。

意見に対する反論ではなく、他者のこき下ろし・誹謗中傷などを繰り返すことは、あなたの・そして私や他の親御さんの第一の目的であるギフテッドの啓蒙とは関係のないことですし、何より渦中にいる親御さん、子供達にとっても不利益なことだと思いませんか。
(どちらの読者さんも情報が得られなくなってしまうのだから)

そして、

教祖
信者

などと、なぜ書くのですか。
私たちはそれぞれ子供に向き合い、その全てをあなたの書くところの教祖の意見に従って行動しているわけではありません。
個人個人、有益な情報は参考にさせていただいているでしょうが、それ以上でも以下でもないのです。
きっと、他の方々もそうでしょう。
彼女は私や他の方々の教祖ではなく、友人なのですから。

こうして私が意見を述べているのは、あなたが、今まさに渦中におり、子供にとって最善な道はなんだろう?と悩む親御さんに対しても蔑み、そうした親御さんのためにと時間がない中で翻訳をしてくれたmaiさんに対して洗脳であるなどと誹謗中傷の記事を書かれたからです。
そうして「私のギフテッド論が正しい」と足を引っ張ることで、果たして子供達は救われるのでしょうか。

私たちの目的は、子供達を救う(認める)ことではないのですか

私のことについては、あれが暴論だとあなたが”感じられ”たならば仕方ないです。
言葉は尽くしたつもりです。
きっと、しっかり読んでいただけたらご理解いただけると思います。

一点だけ言わせていただくと、私はヨーロッパにいたことがないわけではありません。
遠い昔、一時期イギリスにおりましたし、今でも友人がおりますので、全く歴史や文化を知らぬわけではないとだけ、書かせていただきますね。

あなたと、私と、他の親御さん方の目的であるギフテッドの啓蒙が良い方向に行くように願っています。

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# by icecream07 | 2018-02-09 21:39 | ギフテッド/2E

お久しぶりです

ずいぶん久しぶりの投稿となってしまいました…
思っていたよりも仕事が忙しくなり、全く身動きが取れなくなってしまったのです。
(ありがたいことですが)

一つ、とても興味深い文章を見つけましたので、個人的なメモを兼ね、シェアしたいと思います。

「トマス・アクィナス 理性と神秘」山本芳久著 岩波新書 より引用

アリストテレスが述べているように、人間精神は、最初は、「何も書かれていない書字版(tabula rasa)」のようなものである。だが、知性と感覚-視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚-という認識能力を兼ね備えていることによって、人間は、自らの精神を認識を通じて次第に豊かなものとしていくことができる。(略)
そのことは、認識能力を有さない他のものと比較してみると分かりやすい。たとえば、石には「経験」を積むということはない。別の言い方をすれば、石には「世界」が開かれてくるということはない。(略)
人間の場合には、それ(五感などの感覚的世界の経験)だけではない。「知性」によって「すべての可知的な形相を受容する」-宇宙万物の在り方を知的に認識する-ことができる。これが「魂はある意味においてすべてのものである」というアリストテレスの言葉の意味するところのものだ。
それに対して、「すべてを観たまう者(神)を観る者、その者の眼に入らないものがあろうか?」というグレゴリウスの言葉は、天国において顔と顔を合わせて神を直視している至福者たちの在り方を捉えたものである。(略)
愛に満ちた魅力的で熱い語り口ではあるが哲学的な基礎づけを伴っていないグレゴリウスの言葉と、冷徹に人間精神の可能性を哲学的に分析しているアリストテレスの言葉が絶妙な仕方で結び合わされることによって、トマスは、熱烈な宗教性と冷徹な哲学的認識とが相互浸透する魅力的な世界を読者に開示することに成功しているのである。

これは、中世において最大の神学者であり哲学者でもあったトマスの文章を解説した箇所ですが、グレゴリウスの(キリスト教徒にとっては)耳に心地よい(だが、宗教性に傾いており、具体的な肉付けがされていない)言葉に対し、アリストテレスを引用することにより、つまりはこういうことなのですよ、と読者に開示しただけでなく、更にグレゴリウスの言葉を熱狂的で感覚的なものから更に高次のものへと引き上げることに成功しています。

言葉というものはとても難しく、その表層の部分から感じ・考え、喜んだり悲しんだり熱狂したりということもあろうかと思いますが、やはり分析をするということは面倒がらずにするべきだなぁと改めて思いました。

なぜなら、その言葉…概念…は、誰のものでもなく、放たれた瞬間から公となるのだから、様々な視点より議論を重ね、その言葉自体をより豊かにしていくことは我々にとっても有益であると思うからです。

別の興味から手に取った本でしたが、山本芳久先生の解説から言葉(概念)についてのトマス・アクィナスのまさに神業のような偉業に舌を巻きつつ、身近なことであれ、それらを掘り下げていく鍛錬を積もうと改めて考えさせられました。


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# by icecream07 | 2018-02-06 08:41 | 本など

Tacent, satis laudant

「人間の社会にはその時期なりの矛盾と苦悩の方向性があり、実際に誰かがそれらに向き合ってこなければ社会はもっと
悪くなっていた」

ある人文研究者の、そんな言葉を思い出しています。


私の日記に憤慨し、リンクを貼ることは結構なのですが、それに対し「善意の読者」さんから論点を無視した意味不明な
コメントがそのリンクされた記事にばかりつく為、仕方なくコメント欄を限られた方のみに開放しています。

一つは、言葉の誤用について。
一つは、他者をいじめるのはいかがなものか、という点について
一つは、「過去を考えないことは戦争につながる」という趣旨(多分)

どれもこれも私にとっては返事をしかねる内容で(途中までは頑張りましたが)、私のブログをきちんと読んで下さった
としても伝わらなかったのかもしれないと結論が出たため、一時的かもしれませんが、コメント欄の開放を限らせてい
ただいています。

また、こうした煽動を読者に(無意識だとしても)することは私には理解ができず、自分の意志に反して自由なコメント欄
の開放を断念せざるを得なかったというのはとても残念です。

言葉の誤用については説明を尽くしたと思います。
いじめについては、この結果をご覧になり「それ見たことか」と、もし一瞬でもご自身の中に思う自分がいたとしたら、そ
れが答えだと思います。
また、「過去を考えないことは戦争につながる」(こうした私のような大人がいる限り)と書いてくれた学生さんについては、
客観的思考と読解力をつけることによって答えが得られるように思います。誤った正義による戦争が起こらないことを願うば
かりです。

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# by icecream07 | 2017-09-06 12:16 | その他

障害がある子もない子も、全ての子供が(望めば)適切な配慮のもと、通常学級で学ぶ機会を得られる、という、2010年に文科省が方向性を示した教育理念。
日本にはギフテッドという概念はないので、そのような子供たちもそこに含まれるのだと思います。


適切な配慮、これは昨年施行された障害者差別解消法において、現場(学校)にもやっと「困難を抱える子供たちが無理なく教育を受けられるように配慮しましょう」ということが義務付けられました。
また、今年2月施行の教育機会確保法により、ホームスクールは認められなかったものの、従来の”学校復帰が大前提であった不登校対策”が、フリースクールなどでの多様な学び方が認められ、今に至ります。
(これは加計問題で一躍有名となった前川元事務次官の功績でありましょう)

というわけで、表面上、今の日本には、

どの子供たちも適切な配慮のもと、等しく学ぶ機会がある

わけです。

しかし、現実問題として、現場の先生方の理解(勉強)不足や、その原因でもあるような気がする先生方の負担を考えると、インクルーシブ教育は実現可能なのか?とすら思います。

ぼんちゃんの小学校の場合、ディスレクシアの正式な診断書を持っていたのはぼんちゃんだけだったのと、通級指導の先生が熱心な方だったので、比較的簡単にiPadの使用などが認められました。
しかし、その活用法については通常学級の先生はわからず(当然ですが)、週1時間の通級指導の時間に、先生と私とぼんちゃんで活用法を探る、という結果でした。
そして、ぼんちゃんの不登校、熱心な通級指導の先生の異動などがあり、結局今は学校とフリースクールの間にソーシャルワーカーさんが入って下さって、一応の籍は小学校にある、という状態です。

ところで、義務教育の間は2回ほど知能検査を受ける機会があると思います。
ぼんちゃんも2年生か3年生の時に受けた記憶があります。
その結果が良かったので、当時の担任の先生が驚いて、私に報告してくれました。

ぼんちゃんは、ポテンシャルはあるのだと思います。
しかし、通常の学び方ではうまくいきません。
現場も困惑、私たち親も困惑、病院は頼りにならず。
そして、文科省の素晴らしい”インクルーシブ教育理念”も今のところ、うちの場合は頼りになっていません。
…一応、いろんな配慮をしてくれたのですが。

となると、インクルーシブ教育を提唱するならば、やはり具体的に個々の子供たちの状態を知るということは教育上必須となるのではないか、と私は思うのですが、それって差別的行為なんでしょうかね…

なんてことを思いました。

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# by icecream07 | 2017-09-01 08:43 | 登校-不登校