またしても久しぶりの投稿となってしまいました。

4月から6年生となったぼんちゃん。
毎日元気にフリースクールに通っています。
スクールに通い始めて一年たちますが、この一年で様々なことを学びました。
最初はお弁当を嫌がり、大人のようにランチを「買って」食べてみたいと言っていたぼんちゃんですが、スーパーのお弁当やインスタントの食事が常となると「何だか満たされない」と知ったようです。
私が料理上手でなくとも、お弁当の方が好きなんですね。
一周回って、弁当好きになりました。
当たり前のことが当たり前ではなかったと知ったのでしょう。

そして、スクールでの友人関係。
スクールには小学生は4・5人しかいません。
毎日来ている子は限られており、中には精神年齢の幼い子もおり、ぼんちゃんはいつもゲームの相手をしたりして、それが大変なストレスとなっている時がありました。
ストレスが溜まりすぎて、何度かスクールから逃げ出してしまったこともありました…
しかし、スタッフさんの協力もあり、そちらもある程度距離を保つことや、勉強面で算数を教えてあげたりすることで、うまくバランスが取れるようになってきたようです。
また、それがきっかけとなり(そして、自分にはギターやドラムは趣味程度なら良いが、のめり込むほどの情熱は今はないと知り)、自発的に学習を始めることになりました。
と言っても、毎日10分程度ですが、自らテキストを選び学んでいるのですから、大きな成長です。
今は6年生の国・算・理・社の4教科を学んでいます。

読み聞かせは、できる限り継続しています。
が、ふと昨夜自分で読めるかな?と思い、読んでいる行の次の行以降を紙で隠して読んでごらんと本を渡したら、すいすいと…
途中から紙で隠さなくても読めるようになり、しかも「これはハマる理由がわかるわ、面白い」と!
何の本かというと、「秘密結社ベネディクト団」です。

こちらは、ずーっと前にあーちゃんも読んでいて、楽しんでいましたね。
なんだか懐かしくなり、あーちゃん11才(12才になる年の…)の時の記事を読み返してしまいました。
私がぼんちゃんに読んであげようと思ったのも、あーちゃんのこの記事を読んだからです。
(5年近く本棚に眠っていましたが…笑)

ぼんちゃんが継続して自分で読書を楽しめるようになるかはわかりませんが、これからも面白い本はどんどん紹介してあげたいなと思っています。

そして、ついに、ギリシャ神話の(西洋古典の)専門家の講座を受けることに決めました。
我が家は残念ながら経済的に豊かとはほど遠いのですが、それでも機会があれば学びの場は設けてあげたいと常々思っており、家計的には苦しいのですが(というほど全く高くはないのですが、交通費などを考えると月々大きな出費となるのです…)、これがぼんちゃんの将来の糧になればと願っています。
専門家の先生と実際に会い、どのような刺激が受けられるのか。
私も一緒に受講する予定なので、今からとても楽しみです。

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私のお仕事の一つ。
お茶友達とお茶について話すことは、とても勉強になります。
真っ当に作られた茶、時の経ったものに再火入れをして作られた茶、不自然な着香のある茶、いろんなお茶がありますが、真っ当に作られた茶の味を知らなければ、誤魔化しの茶は見抜けません。
昨日は10種類近くは飲んだかな…
その中で素晴らしい茶は4種類。
素晴らしいお茶は感激をもたらしてくれますし、こうして比較することにより、その素晴らしさが一層光り輝くように思います。

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# by icecream07 | 2018-04-19 09:42 | ぼんちゃんの学習

新たな一歩

ギフテッドについて誰か大きな声で世間に叫んでくれたらなぁと、4年ほど前に考えていたことを思い出しました。

ぼんちゃんは学校では凹*が目立ってしまっていて(もちろん、凸があることも先生は認めて下さっていながらも)、

なんとなくギフテッド=天才(何でもできる)というようなイメージの中で、その誤解を一つ一つ解いていくほど

の精神的強さもなく…

*ぼんちゃんは障害もあるため、それは致し方ないことでもあって、しかしギフテッドの説明→2Eの説明など、素

人の私では難しいというか、先生方に対し説得力がまるでないんですよね。当たり前なのですが。

そして、私自身小心者であるため、とてもそんなこと大きな声で叫べないや、とうやむやにしてしまっていたのです。


いつしか時が経ち、ぼんちゃんも私も(忙しいながらも)何とか生活が落ち着いてきたこの頃。

私の住む地域の近くにギフテッドの支援団体”IGEC浜松”ができました。

支援団体メンバーは、

■自閉症の会のメンバー

■知的障害者支援の代表

■LDの会の代表

■貧困対策や地域活性化などを目的としたまちづくり委員の委員長

■LGBTの会の代表

などなど、様々なマイノリティーを支援する会のメンバーたちから構成されています。

そのような支援団体と親の会”ギフテッド応援隊”主催のもと、インクルーシブなギフテッド教育を進めようと、勉強会

を開くことができたのです。

※この勉強会の窓口は浜松市で行ったため、IGEC浜松が窓口となっております


子供達の状態を正しく伝えていきたいというギフテッドのお母さんたちの思いに反し失敗してしまったこともありまし

たが(反省)、それでも当日の勉強会には100名以上の方々が来場され、それも親御さんたちだけでなく、支援の方々・

教育機関の方々・市議会議員の方々…様々な方々が参加して下さり、そして支援の側にいらっしゃる先生方も勉強会の

内容に大変感激してくれたことが私としてはとても嬉しかったです。。。(講師の先生が本当に素晴らしいスライドを

たくさんご用意して下さって…)


講師の先生方には無理を言ってしまいましたが、これは新たな一歩であった、と確信しております。

本当にありがとうございました。

そして、ブログ上でしかお話したことのなかった方や、応援隊の皆さんともたくさんお話ができて、それもまた刺激と

なりました。


私はブログ上でギフテッドという概念に携わって(?)きたというだけで恐縮なのですが、挨拶をさせていただきまし

た。

すべての子供達の明るい未来へと繋がる教育となるよう、思いを綴った挨拶文を転載させていただきますね。

(転載したら文字が大きくなってしまいました。すみません^^;)


**********************


 私が「ギフテッド」という言葉を知ったのは、6年前のことになります。

私には今11歳になる息子がおりますが、彼は5歳のときに、アスペルガー症候群と診断を受けました。

当時、誰に相談できるわけでもなく、そこで、誰も見ないだろう・・・と、自分の思いをブログに綴る

ことにいたしました。その時に、「それはもしかしたらギフテッドかもしれませんよ」と声を掛けてく

れたアメリカ在住のお母さんがおりました。その方のお子さんは数学のギフテッドとして、アメリカで

ギフテッドプログラムを受けておりました。そのお母さんの呼びかけで、多くの日本に住む親御さんた

ちがブログ上に集まり、日々の悩みや子供の得意なことなどを話し合うようになりました。

 今日登壇して下さるMさんも、そのお母さんが繋いで下さったお一人です。

 そして、2年ほど前から日本でも親の会を作ろうと、「ギフテッド応援隊」代表のKさんが尽力してく

ださり、今に至ります。

 ギフテッドというと、「天才」やら「高い才能」という部分に目がいきやすいのですが、私がこれま

の6年で思い至ったことは、「その子らしく生きることがいかに大切であるか」という点です。個人

個人が生み出す結果は一つの成果にすぎず、いかにそれがきらびやかであろうと、本人が幸せでなけれ

ば何でもないのです。そして、何よりも大切な「自分は生きるに値する人間である」と、社会から受け

入れられるための安全な場が必要であると、強く思うようになりました。

 もしかしたら、今日初めて「ギフテッド」という言葉を耳にする方もいらっしゃるかもしれません。

そして、今日1日でその理解に至るということもないかもしれませんが、そのように生きている子供たち

が現実にいるのだということを知っていただけたらと思います。

 どうぞ、これからの2時間、ギフテッドとギフテッドに適した教育、そして、枠にとらわれない学びに

ついて、ともにこの空間で学び・お考えいただければ幸いです。

 ギフテッド応援隊・IGEC浜松を代表しまして、Aより開催のご挨拶とさせていただきます。


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# by icecream07 | 2018-03-14 11:44 | ギフテッド/2E

このところ、ギフテッドについて考えています。
ぼんちゃんがギフテッドならば、ASD・ディスレクシアという障害もあるため、2Eということになります。
ぼんちゃんが学校に通っていた時の自分の悩みを振り返ると、
「ぼんちゃんにとって、漢字の書き取りは意味はあるのか…」
や(漢字だけでなく、宿題に取り掛かるまで大泣き1時間、宿題10分で終了、というように、ダブルで苦痛)、忘れ物・体育での着替え(遅い)などで悩んでいたように思います。
もちろん、朝怠そうに起きてきて、自発的に登校したがらない毎日も悩みでしたが…

不登校になった直接の原因は、担任教師がぼんちゃんだけでなく、クラス皆の口を塞ぐような叱り方を繰り返したため。
けれど、元々学校は好きではありませんでしたし、遡れば、幼稚園も、それ以前に一年ほど通った保育園も好きではなく、毎朝通うのが大変でした。
それを思うと、不登校となったのは必然だったようにも思えるのです。
そして、その原因がASDであるのかギフテッドであるのか、私にはいまだよくわかりません。

先日、ASDかつギフテッドである大学院生のお子さんがいるお母さんとお話する機会がありました。
「うちは不登校にはならなかったのよ、だって『学校は行くもの』という決まりが彼にあったから。この間の大雪の日だって、大学は休講だったのに、『やらなきゃいけないことがあるから』って行っちゃうのよ…」
と。
ASDだから不登校にならない、という話ではありません。
こうしたこだわりもあるのか、と、驚いたという話です。
そんな彼なので、小・中学校には通っていたものの、自尊心はとても低かったのだそうです。
何しろ、凹ばかりに注目され、それを問題視されることが多かったようなので。

彼はこのあたりで一番の進学校へ進みました。
その学校はもちろん優秀な子供たちが集まっているのですが、優秀な分、先生の干渉が少なく、伸び伸びできるとのことです。
そこで少しずつ自己肯定感が増していったのだと、そのお母さんは仰っていました。

「今ぼんちゃんママさんは何を悩んでいらっしゃるの?こうしたこだわり?お友達とトラブルがあるとか?」

不意に聞かれて、私は返答に困りました。
もちろん諸々悩みはあるのですが(協調運動のことや、ディスレクシア、不安障害…)、何よりも私が悩んでいるのは、できるのにやらないこと…なんと言えばいいのか。

「才能を伸ばしてあげたいのに、それができないから悩んでいるんじゃないの?」
!!
「あ、そうです!それで悩んでるんです。どう伸ばしてあげたら良いかわからなくて!」

驚いて、思わず声をあげてしまいました。

「良かった!そうじゃないかと思ったの。私もそうだったから。」

そのお母さんからそう言っていただけて、私はなんだかホッとしました…

私がギフテッドという言葉を知って、6年になります。
ぼんちゃんは好きなことがコロコロ変わるし、幼稚な部分、オッさんな部分、いろんな特徴があって、コレ!という得意なものもなく(私が見つけてあげられていないだけかも)、私が知識として知っているギフテッドに当てはまる部分はあれど、ぼんちゃん=ギフテッドと他者に向かって言っていいのか?という逡巡は常にあり…(というのは、障害もあるため、そのつらさを一般化していいかどうかわからなくなる時があるのです。つまり、つらい”原因”をどこに定めて良いのか悩んでしまう。一番大切な部分なのに)
ただ、ぼんちゃんの生き生きとした知識欲は常に学校外に”あった”というのは事実です。
科学博物館、美術館、動物園、水族館、読み聞かせ、映画etc

学校では心が死んでいたというか、、、死なされていたというか。

これ、多くのギフテッド児もそうなんでしょうか。
私は、今の日本の公教育ではギフテッドの子供たちは「本人の意思に反して精神的に死んでいく」のでは、と考えているのですが、そうでないお子さんもいるのかしら…

私がそうした子供たちに対して「まず救ってあげなければ、存在を認めてあげなければ」と考えたのは、自分の経験と、ブログを通して知ったお子さんたちの苦労を知ったからです。

「自分は生きるに値する人間である」という当たり前のことを受容する日本社会になればなぁ、と、思います。

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# by icecream07 | 2018-03-07 12:58 | ギフテッド/2E

私たちの目的とは…

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい」(マタイ7:3・4)

多分、このランキングにも参加していない私のブログもお読みでしょうから、書くことにいたしますね。

意見に対する反論ではなく、他者のこき下ろし・誹謗中傷などを繰り返すことは、あなたの・そして私や他の親御さんの第一の目的であるギフテッドの啓蒙とは関係のないことですし、何より渦中にいる親御さん、子供達にとっても不利益なことだと思いませんか。
(どちらの読者さんも情報が得られなくなってしまうのだから)

そして、

教祖
信者

などと、なぜ書くのですか。
私たちはそれぞれ子供に向き合い、その全てをあなたの書くところの教祖の意見に従って行動しているわけではありません。
個人個人、有益な情報は参考にさせていただいているでしょうが、それ以上でも以下でもないのです。
きっと、他の方々もそうでしょう。
彼女は私や他の方々の教祖ではなく、友人なのですから。

こうして私が意見を述べているのは、あなたが、今まさに渦中におり、子供にとって最善な道はなんだろう?と悩む親御さんに対しても蔑み、そうした親御さんのためにと時間がない中で翻訳をしてくれたmaiさんに対して洗脳であるなどと誹謗中傷の記事を書かれたからです。
そうして「私のギフテッド論が正しい」と足を引っ張ることで、果たして子供達は救われるのでしょうか。

私たちの目的は、子供達を救う(認める)ことではないのですか

私のことについては、あれが暴論だとあなたが”感じられ”たならば仕方ないです。
言葉は尽くしたつもりです。
きっと、しっかり読んでいただけたらご理解いただけると思います。

一点だけ言わせていただくと、私はヨーロッパにいたことがないわけではありません。
遠い昔、一時期イギリスにおりましたし、今でも友人がおりますので、全く歴史や文化を知らぬわけではないとだけ、書かせていただきますね。

あなたと、私と、他の親御さん方の目的であるギフテッドの啓蒙が良い方向に行くように願っています。

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# by icecream07 | 2018-02-09 21:39 | ギフテッド/2E

お久しぶりです

ずいぶん久しぶりの投稿となってしまいました…
思っていたよりも仕事が忙しくなり、全く身動きが取れなくなってしまったのです。
(ありがたいことですが)

一つ、とても興味深い文章を見つけましたので、個人的なメモを兼ね、シェアしたいと思います。

「トマス・アクィナス 理性と神秘」山本芳久著 岩波新書 より引用

アリストテレスが述べているように、人間精神は、最初は、「何も書かれていない書字版(tabula rasa)」のようなものである。だが、知性と感覚-視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚-という認識能力を兼ね備えていることによって、人間は、自らの精神を認識を通じて次第に豊かなものとしていくことができる。(略)
そのことは、認識能力を有さない他のものと比較してみると分かりやすい。たとえば、石には「経験」を積むということはない。別の言い方をすれば、石には「世界」が開かれてくるということはない。(略)
人間の場合には、それ(五感などの感覚的世界の経験)だけではない。「知性」によって「すべての可知的な形相を受容する」-宇宙万物の在り方を知的に認識する-ことができる。これが「魂はある意味においてすべてのものである」というアリストテレスの言葉の意味するところのものだ。
それに対して、「すべてを観たまう者(神)を観る者、その者の眼に入らないものがあろうか?」というグレゴリウスの言葉は、天国において顔と顔を合わせて神を直視している至福者たちの在り方を捉えたものである。(略)
愛に満ちた魅力的で熱い語り口ではあるが哲学的な基礎づけを伴っていないグレゴリウスの言葉と、冷徹に人間精神の可能性を哲学的に分析しているアリストテレスの言葉が絶妙な仕方で結び合わされることによって、トマスは、熱烈な宗教性と冷徹な哲学的認識とが相互浸透する魅力的な世界を読者に開示することに成功しているのである。

これは、中世において最大の神学者であり哲学者でもあったトマスの文章を解説した箇所ですが、グレゴリウスの(キリスト教徒にとっては)耳に心地よい(だが、宗教性に傾いており、具体的な肉付けがされていない)言葉に対し、アリストテレスを引用することにより、つまりはこういうことなのですよ、と読者に開示しただけでなく、更にグレゴリウスの言葉を熱狂的で感覚的なものから更に高次のものへと引き上げることに成功しています。

言葉というものはとても難しく、その表層の部分から感じ・考え、喜んだり悲しんだり熱狂したりということもあろうかと思いますが、やはり分析をするということは面倒がらずにするべきだなぁと改めて思いました。

なぜなら、その言葉…概念…は、誰のものでもなく、放たれた瞬間から公となるのだから、様々な視点より議論を重ね、その言葉自体をより豊かにしていくことは我々にとっても有益であると思うからです。

別の興味から手に取った本でしたが、山本芳久先生の解説から言葉(概念)についてのトマス・アクィナスのまさに神業のような偉業に舌を巻きつつ、身近なことであれ、それらを掘り下げていく鍛錬を積もうと改めて考えさせられました。


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# by icecream07 | 2018-02-06 08:41 | 本など