Tacent, satis laudant

「人間の社会にはその時期なりの矛盾と苦悩の方向性があり、実際に誰かがそれらに向き合ってこなければ社会はもっと
悪くなっていた」

ある人文研究者の、そんな言葉を思い出しています。


私の日記に憤慨し、リンクを貼ることは結構なのですが、それに対し「善意の読者」さんから論点を無視した意味不明な
コメントがそのリンクされた記事にばかりつく為、仕方なくコメント欄を限られた方のみに開放しています。

一つは、言葉の誤用について。
一つは、他者をいじめるのはいかがなものか、という点について
一つは、「過去を考えないことは戦争につながる」という趣旨(多分)

どれもこれも私にとっては返事をしかねる内容で(途中までは頑張りましたが)、私のブログをきちんと読んで下さった
としても伝わらなかったのかもしれないと結論が出たため、一時的かもしれませんが、コメント欄の開放を限らせてい
ただいています。

また、こうした煽動を読者に(無意識だとしても)することは私には理解ができず、自分の意志に反して自由なコメント欄
の開放を断念せざるを得なかったというのはとても残念です。

言葉の誤用については説明を尽くしたと思います。
いじめについては、この結果をご覧になり「それ見たことか」と、もし一瞬でもご自身の中に思う自分がいたとしたら、そ
れが答えだと思います。
また、「過去を考えないことは戦争につながる」(こうした私のような大人がいる限り)と書いてくれた学生さんについては、
客観的思考と読解力をつけることによって答えが得られるように思います。誤った正義による戦争が起こらないことを願うば
かりです。

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# by icecream07 | 2017-09-06 12:16 | その他

障害がある子もない子も、全ての子供が(望めば)適切な配慮のもと、通常学級で学ぶ機会を得られる、という、2010年に文科省が方向性を示した教育理念。
日本にはギフテッドという概念はないので、そのような子供たちもそこに含まれるのだと思います。


適切な配慮、これは昨年施行された障害者差別解消法において、現場(学校)にもやっと「困難を抱える子供たちが無理なく教育を受けられるように配慮しましょう」ということが義務付けられました。
また、今年2月施行の教育機会確保法により、ホームスクールは認められなかったものの、従来の”学校復帰が大前提であった不登校対策”が、フリースクールなどでの多様な学び方が認められ、今に至ります。
(これは加計問題で一躍有名となった前川元事務次官の功績でありましょう)

というわけで、表面上、今の日本には、

どの子供たちも適切な配慮のもと、等しく学ぶ機会がある

わけです。

しかし、現実問題として、現場の先生方の理解(勉強)不足や、その原因でもあるような気がする先生方の負担を考えると、インクルーシブ教育は実現可能なのか?とすら思います。

ぼんちゃんの小学校の場合、ディスレクシアの正式な診断書を持っていたのはぼんちゃんだけだったのと、通級指導の先生が熱心な方だったので、比較的簡単にiPadの使用などが認められました。
しかし、その活用法については通常学級の先生はわからず(当然ですが)、週1時間の通級指導の時間に、先生と私とぼんちゃんで活用法を探る、という結果でした。
そして、ぼんちゃんの不登校、熱心な通級指導の先生の異動などがあり、結局今は学校とフリースクールの間にソーシャルワーカーさんが入って下さって、一応の籍は小学校にある、という状態です。

ところで、義務教育の間は2回ほど知能検査を受ける機会があると思います。
ぼんちゃんも2年生か3年生の時に受けた記憶があります。
その結果が良かったので、当時の担任の先生が驚いて、私に報告してくれました。

ぼんちゃんは、ポテンシャルはあるのだと思います。
しかし、通常の学び方ではうまくいきません。
現場も困惑、私たち親も困惑、病院は頼りにならず。
そして、文科省の素晴らしい”インクルーシブ教育理念”も今のところ、うちの場合は頼りになっていません。
…一応、いろんな配慮をしてくれたのですが。

となると、インクルーシブ教育を提唱するならば、やはり具体的に個々の子供たちの状態を知るということは教育上必須となるのではないか、と私は思うのですが、それって差別的行為なんでしょうかね…

なんてことを思いました。

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# by icecream07 | 2017-09-01 08:43 | 登校-不登校

朝から涙する

今朝facebookを開いたら、ある記事が偶然にもシェアされていました。
それは、シリアの首都ダマスカスの難民キャンプ・ヤーモウクに生まれ育ったパレスチナ難民であり、バレエダンサーのAhamd Joudehの記事でした。
英語がおわかりになる方は、下記動画をご覧下さい。

彼の父親はバレエなど恥ずかしいと、彼を殴ったり衣装を燃やしたりと、様々な妨害をしていたようです。
しかし、彼のダンスへの情熱は強く、その後ISISにより「ダンスを続けるならば殺す」と脅されても怯まず、彼はタトゥーショップへ行き、首にDance or dieとサンスクリット語で入れ、彼らが斬首する際には必ずその言葉が目に入るようにしたのです。

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(facebook記事より転載)

彼のダンスへの情熱は人々の心を動かし、今、アムステルダムの国立バレエ団で活動をしているそうです。

彼の言葉が素晴らしく美しいのだけど、私の英語&日本語力ではうまくお伝えできません。
4:30〜あたり、ご視聴いただけましたら。

"That's so beautiful!"

という彼の表情が"so beautiful"です。

******

シリアにはISISにより住居を奪われたパレスチナ難民、つまり二重難民となった方々もおられます。
彼のご家族もそう。
歴史を辿る意味は、他者や他国を非難するためではなく、そこから平和を探ることであると思います。
100年前の過ちから学べることはたくさんあると思います。
彼の美しい表情から、そんなことを思いました。

****

彼の話を朝からぼんちゃんにしていたら、ぼんちゃんはムスッとして、
「早くお弁当ちょうだい。電車に間に合わなくなっちゃう」
と(苦笑)
今日はドラムレッスンがあるので、楽しみに出かけていきました。
そんな平和に感謝しつつ。

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# by icecream07 | 2017-08-30 09:40 | その他

大伯父さんを想いながら

ぼんちゃんは私が見ているドキュメンタリーが嫌いです。
しかし、嫌いと言いながらも、本人にとって興味がある内容だと知らぬ間に真剣に見ているので、それはそれで良いかな?と思って一緒に見て、感想を話し合ったりしています。


川幅600メートルにも及ぶ大河と2000メートル級の山々が連なるインドとミャンマーの国境地帯。今から73年前、日本軍はこの国境地帯を越えインドにあったイギリス軍の拠点「インパール」の攻略を目指した。しかし、誰一人としてその地を踏むことが出来ず3万とも言われる将兵が命を落とした。歴史的敗北を喫した戦場で何があったのか。新資料と新証言でその全貌に迫る。”(NHK 番組紹介より)

地図職人さんによると、その厳しい道程は日本のアルプス越え3回とほぼ同等なのだそうです。
また、兵站なしという信じがたい状況で、たくさんの命が奪われました。

実は、祖母のお兄さん(大伯父さん)も、南方で亡くなっています。
戦死なのか、病死なのか、餓死なのかもわかりません。

時々、会ったこともない大伯父さんの最期を考えます。
大伯父さんは優秀な人で、T大経済学部を卒業し、就職が決まったばかりだったそうです。
マルクス派であり、戦争に反対であった大伯父さん。
南方で自分の最期を悟った時、一体何を考えていたのか…
「戦慄の記録 インパール」での当時の記録や、元日本軍のおじいさんの証言を通して大伯父さんの姿を想像していたら、泣けてきてしまいました。
(祖母から聞いていたのは、優秀で優しくて、謙虚なお兄さんの姿。皆が皆、あの頃は不幸だったのだと悲しくなりました)

ぼんちゃんにとっては、遠い遠い昔の話。
それでも、

「こんな無茶な作戦を?」

と、子供ながらに驚いたようでした。

時にはこうして一緒にドキュメンタリーを見て、ぼんちゃん自身が考えるきっかけとなるといいな…と思いました。

世の中には、サイクス・ピコ協定など、今現在に至るまで不幸をもたらしている過去もあります。
負の連鎖とならぬよう、簡単にはいかなくとも、それはどこかで食い止める必要があるのでしょうね。

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# by icecream07 | 2017-08-28 22:18 | その他

生きていることば

共通の言語を使用していても話が噛み合わない場合には何らかの原因があり(たとえば、無知など)、そのために論点がぼやけてしまうこともひょっとしたらあるのかもしれません。

独り言のようになってしまいますが、自戒の念を込めて、言葉に向き合ってみようと思います。

まず、カタカナ語(和製英語)であるナイーブ。
この言葉には悩まされました。
なぜなら、英語圏で使用されているnaiveの意味とは大きく異なるということを私が知らなかったからです。


また、カタカナ語で調べても、ほとんどが、

[形動]飾りけがなく、素直であるさま。また、純粋で傷つきやすいさま。単純で未熟なさま。「ナイーブな感性」「ナイーブな性格」

(参考デジタル大辞泉)

などと出てくるため、混乱しやすいカタカナ語であるといえましょう。
これは明治期にnaiveという言葉が訳された時から意味が少しずつ変わり、このように異なる(または、連続している)状態を示す言葉に変化していったからだと思います。

「彼はナイーブ(繊細な=sensitive)な人だから」

等、現代の日本において用法としては主に上記のように使用されているようです。
英語圏で使用する際は注意が必要であると、一つ学ぶことができました。

そして、「侮辱/差別」について。

(参考デジタル大辞泉)
侮辱
[名](スル)相手を軽んじ、はずかしめること。見下して、名誉などを傷つけること。「侮辱を受ける」「他民族を侮辱する」
差別
[名](スル)
  1.  あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」

  1.  取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

  1.  ⇒しゃべつ(差別)


また、(スル)には

[動サ変][文]す[サ変]
    1. ㋐ある状態・現象の起きたことやその存在がおのずと感じられる。「稲光がする」「地鳴りがする」「物音がする」「においがする」「寒けがする」「動悸 (どうき) がする

    2. ㋑ある状態になる。ある状態である。「がっしりた骨組み」「男好きのする顔」

    3. ㋒(金額を表す語に付いて)それだけの価値である。「五億円もする絵」「その洋服いくらた」

    4. ㋓(時を表す語に付いて)時間が経過する。「一年もすれば忘れるだろう」

    1. ㋐ある事・動作・行為などを行う。意図的にその物事・行為を行う場合から、ある状態や結果になるような動作・行為を行う場合、結果としてある事を行ってしまったり望まないのにそうなったりする場合など、いろいろに用いられる。「運転をする」「仕事をする」「いたずらをする」「道路を広くする」「負担を軽くする」「女らしくする」「大損をする」「やけどをする」「下痢をする

    2. ㋑ある役割を努める。ある地位にあって働く。また、そのことを仕事として生活をささえる。「司会をする」「仲人をする」「料理長をている」「商売をする

    3. ㋒(多く「…を…にする」「…を…とする」の形で)人や物事を今とはちがった状態のものにならせる。ある地位に就かせたり、ある用に当てたりする。「息子を先生にする」「彼を会長にする」「肘 (ひじ) を曲げて枕とする」「失敗を教訓とて生かす」

    4. ㋓ある状態・性質であることを示す。「鋭い目付きをた男」「むじゃきな顔をた子供たち」

    5. ㋔身に付ける。「ネクタイをする」「マスクをする

    6. ㋕…であると判断をくだす。みなす。また、決定する。選んでそれに決める。「まあ、これでよしとよう」「友をよき競争相手とする」「出場を取りやめにする」「私は、コーヒーにする


とあり、私が使用した”差別”の場合、

2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

  であるため、動詞(スル)は、

   2のア
    ある事・動作・行為などを行う。意図的にその物事・行為を行う場合から、ある状態や結果になるような動作・行為を行う場合、結果としてある事を行ってしまったり望まないのにそうなったりする場合など、いろいろに用いられる。「運転をする」「仕事をする」「いたずらをする」「道路を広くする」「負担を軽くする」「女らしくする」「大損をする」「やけどをする」「下痢をする

    であり、行為を示す侮辱・差別が英文法でいうところの目的語となることがわかりました。

こうして考えると、言葉は文脈の中で生きてくるのだと改めて思います。

***

日本語学者であり、辞書編纂者である飯間浩明さんのお話は、twitterでもとても興味深く面白いです。
飯間さんのインタビュー記事から、少し引用いたします。
言葉を『正しい/間違い』で価値判断しないでください。言葉を使う上で一番大事なことは、その言葉が相手に届くかどうか。言葉の意味は時代によっても、状況によっても変わります。教科書的に正しいとされる言葉を使っていれば間違いない、ということは決してありません。その言葉で相手に誤解を生まないか、ということに注意を向けて、伝わる言葉を使ってほしいと思います」。”

この文章を読み、本当に私はハッとしました。
言葉には複数の意味がある場合も多々ありますし、飯間さんが書かれているように、時代や状況によっても変化します。
読んで下さっている方々がいる限り、こうした個人的な記録を兼ねた日記だとしても丁寧にお伝えしていく努力が必要だ、と、改めて反省しました。
私自身、年齢を重ねてもまだまだ未熟であるし、学ばなければわからないことばかりです。
間違えることもたびたびあります。
しかし(最期の時がいつかはわかりませんが)、

「年老いた愚か者は長く生きたのではなく、長くこの世にいたに過ぎない」

とならぬよう、日々精進したいと思います。


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# by icecream07 | 2017-08-23 10:27 | その他